2014年2月28日金曜日

【Facebookスパム】【衝撃!】色んな黒い噂があった中突如芸能界を引退した島田紳助の現在の姿がまるでヤ○ザと話題に、、、

根強い人気の島田紳助ネタ。これも引っかかっている人の多いスパムだ。


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島田紳助の驚くべき現在の姿、、、。

芸能界の時の面影はもはやないのでは、、、、、、
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とあおり、

「この衝撃の姿を見るには、、、」ボタンを押させようとする。

下の赤いのがボタンなのだが、ボタンに見えないところもクリックしたくなる要因なのかもしれない。

捨てアカウントからアクセスして、押してみる。



Decoshop Radiantって何ですか? とりあえず捨てアカウントでOKを押してみる。

何と! 全く一緒の画面が出てきた!



と思ったら、「いいね」してほしいらしい。

いいねをして、赤いボタン?を押す。




こんどは「友達に教える」というチェックボックス。ディフシオンって何だ?
まあそんなことは気にせずに。




こんな感じの4枚の画像が出てきた。
すべて雑誌のスキャンと見られるが、「日刊エンタメファイル」という透かしが入っている。
日刊エンタメファイルを検索してみた。上の方に並んでいるものは、楽天ソーシャルニュースから楽しく世相を学べるブログというところに飛ぶリンクで、該当するコンテンツはなくなっている。謎だ。


2014年2月24日月曜日

【Facebookスパム】男子フィギュア金メダルの羽生結弦の プライベートツーショット写真が流出!!

テキスト系スパムの「続きを読む」なら、検索するという知識さえあれば、結末を見ることができる可能性は高い。完全オリジナルのスパムだとお手上げかもしれないけれど。

しかし、「流出した画像を見たければクリックしてね」というポストの場合は、つい「次へ」や「承認」「OK」を押してしまうのかもしれない。

実際に、引っかかっている人が多い。

というわけで、捨てアカウントを使ってどうなるか試してみた。

はじめは、こんなのが来る。というか、騙された友だちが投稿している。

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男子フィギュア金メダルの羽生結弦の
プライベートツーショット写真が流出!!

ソチ五輪の男子フィギュアで、日本人男子初の金メダルを獲得した羽生結弦だが、その喜びの最中に、あるプライベート画像がネット上に投稿され、波紋を呼んでいる。

問題の画像を投稿したのは、韓国女子フィギュア選手のカク・ミンジョンで、15日夜にオンライン画像共有コミュニティ・インスタグラムに「私の友達の羽生、金メダルおめでとう」というメッセージと共に公開した。

だが、彼女が公開した画像は衝撃的だった。。

⇒ 
※リンク先情報削除。ご丁寧にBit.lyの短縮URLだった。

※スマホの方は警告が出る場合がありますが、安全ですのでそのまま実行してもらって大丈夫です。

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警告が出て、アプリを承認することで、次へ進める。捨てアカウントだから、進んでしまおう。本アカウントでやると危険なのでやめましょう。上に汚く配置された広告が出てくるが無視。下にはこんな画面が出てくる。



いいねを押して、「男子フィギュア金メダルの羽生結弦のプライベートツーショット写真が流出!!をスタート」を押してみる。大事なことだからもう一度。これは捨てアカウントでやっています。本アカウントでやってはいけません。危険です。




なんですか? これは?
普通の写真にしか見えない。
そして、下に、このような表示が……
この先に流出したやつがあるというわけか。


結果を見ると、ウォールに投稿される、ということですな。だまされる人たちは、こんなのを見ずにやっているのだろうか。本当の流出写真は、次の画面でようやく見られるようだ。「結果を見る」を押してみる。Facebookでシェアするのチェックもオンにしたままにする。なお、これは捨てアカウントでやっています。本アカウントでやってはいけません。


出てきた画像はこちら。ネットで出回っているものであり、特に目新しくはない。記事本文も貼ってあった。

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男子フィギュア金メダルの羽生結弦のプライベートツーショット写真が流出!!

ソチ五輪の男子フィギュアで、日本人男子初の金メダルを獲得した羽生結弦(19)だが、その喜びの最中に、あるプライベート画像がネット上に投稿され、波紋を呼んでいる。

問題の画像を投稿したのは、韓国女子フィギュア選手のカク・ミンジョン(20)で、15日夜にオンライン画像共有コミュニティ・インスタグラムに「私の友達の羽生、金メダルおめでとう」というメッセージと共に公開した。

だが、彼女が公開した画像は衝撃的だった。

撮影されたのはホテルの寝室らしく、一枚はベッド上に二人でリラックスしている姿、もう一枚は親密そうに顔を接近させたツーショットという意味深なもので、すぐに日韓のネットユーザー間で拡散し、韓国のニュースメディアまで報道する騒ぎになった。

一方の騒動の主となったカク・ミンジョンは、かつて韓国女子フィギュア界で「第二のキム・ヨナ」とも呼ばれた有望選手で、2010年バンクーバー五輪では韓国代表に。

だが、2011年以降は国際大会から遠ざかり、今回のソチ五輪にも出場していない。

また、彼女は自らの顔を浅田真央そっくりにしたという「整形疑惑」も囁かれるなど、ネット上では何かとお騒がせな人物だった。

そのためか、韓国のネットユーザーからも彼女の行為に対して

「若い男女が二人、ホテルの部屋で何を?カク・ミンジョンは何を考えてこんな写真を投稿したのか?」

「羽生が金メダルを取って有名になったから、急に親しい振りをしている。人生ではこういう人に気を付けなければならない」

など否定的な意見が続出した。

現在、これらの画像は騒動から間もなくして削除されている。

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調べたところ、この記事のソースは日刊ナックルズのようだ。ふつうに記事をコピペして、スパムを送りつけているだけで、中身はすでに広まっている情報にすぎない。こういう商売をしている人たちは、個人情報をどう使おうとしているのだろうか。


このような投稿を見たら、要注意。




2014年2月18日火曜日

Yahoo!プレミアムのビューンで雑誌を読むためにChromeの設定を変える

Yahoo!プレミアムに入ってみた。
競馬のコンテンツが充実していたので、それだけで元が取れる上に、
無料で漫画を読めたり、映画を観られたりする。
タブレットを持っている人にはおすすめだ。

サービスの1つに、「ビューン」というものがある。
ビューンは、有料のAndroidアプリとして提供されている。さまざまな雑誌の最新号を読める、けっこう人気のサービスのようだ。
しかし、Yahoo!プレミアムでは、Webブラウザを使って読む形式のYahoo!プレミアム版を利用することになる。読める雑誌は基本的に10誌。現在は、期間限定で7誌を読める。おそらく期間限定の雑誌は、毎回変わるのだろう。で、気に入った人は有料に来てね、と。

さて、このYahoo!プレミアム版のビューン、ふつうに読もうとすると、雑誌の下が切れてしまう。人差し指と中指で縮小しようとしても効かないし、ボタンは拡大しかない。ブラウザを変えて試すなど、いろいろやってみた。

環境は、以下だ:
タブレット=Nexus7 2012年版
試したブラウザ=Chrome、Firefox、Habit Browser、Yahoo!ブラウザーなど

ヤフーのサービスだからと、Yahoo!ブラウザーまで試したが、すべてで同じ現象が起きた。らちがあかず、結局問い合わせることにした。

Chromeを立ち上げ、

設定

ユーザ補助

「強制的にズームを有効にする」をオフに

これだけで解決。
読みたかったのは、週刊朝日とサンデー毎日。毎週買うことはないが、たまに買っていた。これからは無料で読める。ただ、ちょっと字が小さい。10インチタブレットが欲しくなった。


2014年2月12日水曜日

【感動する話】「天国からのメール」

わざわざ【感動する話】と入れて、検索しても出てきにくいようにしている。これは元ネタがどこにあるのかわかりにくかった。改行のない原稿などもあったし、句読点が違うものもあるから単純コピペでもないのかも。【泣ける話】のバージョンも発見された。中身は一緒だ。

https://www.facebook.com/sharekandou

おそらくここに投稿されたものが拡散されたんだろう。元は、だれもが自由に読めたわけだ。その大元は2ちゃんねるか何かなんだろうか。

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「天国からのメール」

私はキャバ嬢でした。
家がとても貧乏で、夜働きながら大学へ行きました。
そんな私の初めてのお客様。
Yさん
70歳のお爺ちゃんです。
彼はとても口ベタでほとんど話しません。
何か話しかけても「うんそうだね」ばかり。
でも毎週来てくれました。
時には同伴もしてくれました。
私は必死で話しかけましたが、いつも優しく笑うばかり。
とても不思議な人でした。

夜の仕事をしていると、
休みの日に会いたい。
ホテルに行きたい。
そんなこと言う人がほとんどですが、彼は一切そんなこと言いませんでした。
私がピンチな時は、決まって助けてくれました。
いつも静かにウィスキーを飲み、12時には帰って行きます。
大学の卒業が決まり、夜の仕事を卒業する日。
いつもと変わらず来店してくれて、お疲れ様の言葉をくれました。

翌日に珍しく彼の方からメールが来ました。

「今までお疲れ様。
本当によく頑張ったね。
君と過ごした時間は本当に楽しかった。
これからは昼の人間。
今まで夜の仕事で出会った人とは。
もう関わってはいけないよ。
夜の世界に戻ってきてはいけないよ。
もちろん僕とも。
いつでも君のことを応援しています。
もう会うことはないけれど。
どうか夢が叶いますように。
頑張れ‼︎」。

私は彼の言う通り。
夜の仕事で出会った人との連絡は。
断ちました。

でも、彼だけは。
連絡先を消せませんでした。

毎年一度だけ、。
彼の誕生日にメールをしました。

「誕生日おめでとう。
体調崩してませんか?。
この間、初めての契約がとれました」。

「誕生日おめでとう。
お元気ですか?。
私は後輩ができました。
仕事頑張ってます」。

「誕生日おめでとう。
毎年約束を破ってすみません。
仕事が上手くいかなくて。
正直辞めたいです。
もう頑張れないよ」。



3年目のメールで。
初めて返信が来ました。

「突然のメール申し訳ございません。
Yの娘です。
先日父はガンで他界しました。
貴方に伝えたいことがあって。
メールさせていただきました。
父の日記です。
父の想いが伝わったら幸いです。

お仕事頑張ってください。
今日も彼女は楽しそうに大学の話をしてくれた。
夢を語る彼女はキラキラしてる。
応援していますよ。

今日はお寿司を食べに行った。
本当に美味しそうに食べてくれて嬉しかった。
昼は学校、夜は仕事。
ちゃんと寝てるのか心配だ。

進級おめでとう。
あと一年で卒業ですね。
応援してます。
最近遊びほうけてるみたいだけど、ちゃんと勉強もするんだよ。

就職が決まったようだ。
おめでとう。
夢への第一歩ですね。

やっと卒業した。
夢に向かって頑張ってほしい。
頑張り屋さんだからきっと大丈夫。
頑張れ‼︎。

誕生日のお祝いメールが来た。
覚えててくれて嬉しい。
仕事頑張ってるみたいで良かった。
でも、返信してはいけないな。
彼女は自分の力で未来を掴んだのだから

今年もメールが来た。
先輩かー。
彼女のことだから張り切って世話やいてるんだろうな。
仕事楽しそうで何より。

仕事が大変みたいだ。
頑張れ‼︎。
辞めてはいけないよ。
彼女は強いからきっと大丈夫。
応援していますよ。
君なら大丈夫だ」。

今年で社会人6年目。
今、仕事が楽しいです。
毎日頑張ってます。
天国のYさんへ届くように…

2014年2月10日月曜日

2014年東京都知事選、マック赤坂の得票率は0.3%だったが

マック赤坂の戦いが終わった。目標の10万票に遠く及ばなかった。雪のせいだろうか。2011年、4,598票からスタートした彼の都知事選は、前回の2012年に38,855票へと跳ね上がったものの、今回は15,070票と半分以下になってしまった。

これまで、彼の戦ってきた選挙は、以下のとおり(Wikipediaより)。太字が、東京都全土を対象にした選挙だ。

投票日 選挙内容 得票数 得票率
2007年4月22日 東京都港区議会議員選挙 179票 0.3%
2007年7月29日 第21回参議院議員通常選挙東京都選挙区 6,408票 0.1%
2009年8月30日 第45回衆議院議員総選挙東京都第1区 987票 0.3%
2010年7月11日 第22回参議院議員通常選挙東京都選挙区 7,599票 0.1%
2011年4月10日 東京都知事選挙 4,598票 0.10%
2011年11月27日 大阪府知事選挙 21,479票 0.6%
2012年10月21日 新潟県知事選挙 17,884票 2.1%
2012年12月16日 東京都知事選挙 38,855票 0.6%
2013年7月21日 第23回参議院議員通常選挙東京都選挙区 12,228票 0.2%
2014年2月9日 東京都知事選挙 15,070票 0.3%

新潟知事選挙だけ得票率2%を超えている(赤字)。この選挙は、相乗り候補と共産党、そしてマック赤坂の三つ巴の戦いであった。というか、どう考えても相乗りが通る選挙であった。だからマックに入れちゃおう、という人が多かった結果と考えていい。

これに対して、東京は泡沫候補(マック曰く、「私は泡じゃありません、人間です」)が多く、票が分散してしまう。中でも最大のライバルはドクター中松だろう。ここで、ドクターとマックの直接対決結果を見ていく。

投票日 選挙内容 マック赤坂 ドクター中松 対ドクター率
2007年7月29日 第21回参議院議員通常選挙東京都選挙区 6,408 92,512 6.92%
2011年4月10日 東京都知事選挙 4,598 48,672 9.44%
2012年12月16日 東京都知事選挙 38,855 129,406 30.02%
2014年2月9日 東京都知事選挙 15,070 64,774 23.26%

今回は少し落としたが、知名度の上昇と共に、戦える状態になってきているのがわかる。


■2014都知事選 立候補会見 動画


東京都の有権者のみならず、アメリカのハリウッドでもスイスのローザンヌでも、いまや世界中のマックオタクがいるんです。私の政見放送を、いつやるかと楽しみにしてるんです。
政見放送、ゴールデンタイムにやってくれませんかね?
選挙には、ある意味フェスティバル=お祭りという要素がある。
いまだかつてない政見放送の革命を。立候補10回記念政見放送。

この会見を見ると、まともな人に見える。ちょっと変だが、ウケを狙っているわけではなさそう。言葉の選び方に頭の良さを感じられる。学歴詐称はなさそうだ。そして、この記者会見で、マック赤坂が最もアピールしたのが政見放送についてだ。実際に、2パターン作られて、NHKとテレビ東京?で流された政見放送は、いつも以上のクオリティだった。

■大天使バージョン



■滝川クリステルバージョン



マック赤坂の投じた300万円は、こうして世の中をほんの少しだけ、愉快にしてくれる。次の戦いは、大阪市長選になるのか、京都府知事選になるのか。今後の活躍に期待したい。


過去10度の出馬経験持つマック赤坂氏に密着 その人物像を探る
http://www.news-postseven.com/archives/20140210_240629.html
※週刊ポスト2014年2月21日号

マック赤坂はなぜきゃりーぱみゅぱみゅの首を絞めると言い出したのか1
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20131224/E1387821991636.html
※エキサイトレビュー2013年12月24日


2014年2月9日日曜日

【泣ける話】彼の手料理

また『泣ける話・感動する話 – 涙腺崩壊』からの引用、というかコピペだ。まあ、ほかにもコピペされているところはあるのだが、ここで検索しちゃえばかなりの確率で泣ける系を見つけることができそうだ。しかし、この話、泣けるんだろうか。けっこう人気のようだが、わけがわからない。

--

http://nakeru.e-wadai.net/love/475/

今年の5月まで付き合っていた彼の話。
料理がすきで、調理場でバイトしていた。
付き合い始めのころに私が作った味噌汁に、溶け残りの味噌が固まって入ってたことがあった。
飲み終えてから気づいて、恥ずかしさからどうして早く言わないの?!と怒った私に
「好きな人が作ってくれたものはみんな美味しいんだよ」って言ってくれた。

彼はよくおいしい料理を作ってくれた。
私よりかなり上手。
私の料理がまずければ正直にまずい言うようになった。
「料理が上手になってほしいから」って。
料理するたびに文句を言われるから、
「長く付き合うとやさしくなくなるんだなぁ」
なんて思って、せがまれても作らなくなった。

彼とは5月に別れた。
彼のことをすきかどうか分からなくなって。
彼は優しかった。
彼から別れをきりだした。
私の気持ちに気づいていると思わなかった。
次第に冷たい態度をとっていってたんだと思う。
自分の鈍感さに、非道さに気づいて、泣いた。
何度も謝ったけど、彼への仕打ちは消えない。

好きな人の気持ちが離れていくのを彼はずっと気づいていた。
どうすることもできず、いつものように振舞って、ついには自分から私を手放した。
望んでないのに。
私よりずっとキツイ仕事をしているのに、通ってきてくれて、料理を作ってくれて、愛してくれた。
思えば、別れの数ヶ月くらい前から
「俺のこと好き?」って聞くようになった。
冗談のつもりで「嫌い」って、私。
寂しそうな顔は演技だと思ってた。

今になって思う。
まずくても、不恰好でも、それでも私の手料理が良かったんだよね。
彼よりへたくそで、気にする私に、料理を教えようとして正直な感想を述べててくれてたんだよね。
なのにそのことに気づかず、努力もせず、手伝いもしないでご飯を作ってもらってた。
ろくにお礼も言わなかった。
今更遅いけど、ごめんね。
こんな女が最初の彼女でごめんね。
こんな私を愛してくれて、本当にありがとう。

料理をすると彼が思い出される。
連絡をしたらきっとまた傷つけてしまう。
伝えたいけどもう伝えられない、感謝と後悔。


【泣話】1コ上のお兄ちゃん

これは、かなりコピーされている方だ。ただ、タイトルが『1コ上のお兄ちゃん』だったり、『イッコ上のお兄ちゃん』だったりする。しかしコピペは、どうして数字を全角にするのだろう。謎だ。

--

http://nakeruhanashi.blog95.fc2.com/blog-entry-97.html
↑1コ上のお兄ちゃん。
http://ameblo.jp/crystory/entry-11440428332.html
↑イッコ上のお兄ちゃん


三歳ぐらいの時から、毎日のように遊んでくれた1コ上の兄ちゃんがいた。
成績優秀でスポーツ万能。しかも超優しい。
一人っ子の俺にとって、ほんとに兄ちゃんみたいな存在だった。
小4の時、真冬にサッカーしてて
林に入ったボールを取って戻ってきたら兄ちゃんが倒れてた。
慌てて抱き起こしたら吐いちゃって
その時は風邪ひいてるって言われてバイバイした。
しばらくして入院したって聞いて、病名も知らないのにお見舞いに行った。
退院できたけど学校には滅多に来なくなった。
外で遊んじゃいけないらしいんで、毎週土日は兄ちゃん家にくにおくんをやりに行った。
よく兄ちゃんのママンから「来てくれてありがとうね」って言われて
近所のオバチャンからは「○○君と遊んでるなんて偉いわね」って言われた。
言葉の意味が俺にはさっぱり分からなかった。
(はぁ?友達なんだから当たり前の事じゃないの?)
純粋にそう思えるぐらいバカなガキだった。
しばらくしたら絶対良くなって、また外で遊べるって思ってた。
親にも兄ちゃんのママンにも、そのうち良くなるって言われたし。
ある日、やけに兄ちゃん宅に抜け毛が多いなって事に気付いた。
身長も俺のほうが上になったし、外に出ないから肌真っ白だし、腕も超細いし。
その事を親に話したら、脳腫瘍っていう難しい病気なんだよって初めて聞かされた。
兄ちゃんがあんまり長くないって事、なんとなく分かった。
それから急に顔合わせるのが辛くなった。
遊びに行く機会が段々減っていって、最後は全く遊ばなくなった。
しばらくして、晩飯の時間のニュースで
「病気と闘う中学生」みたいな感じの特集に兄ちゃんが出てた。
見るのが嫌になってチャンネル変えた。親に思いっきりビンタされた。
結局会う事になったのは2年ぶり、兄ちゃんが棺の中に入った時だった。
兄ちゃんのママンから「何か言ってあげて」って、凄い優しい声で言われた。
俺が遊びに行かなくなってから、どんな気持ちで毎日家の中で過ごしてたんだろうって
そう考えたら胸が張り裂けそうになって、何も言葉にする事ができなかった。
結局自分の事しか考えて無かった。もっと沢山会ってあげればよかった。
本当にごめんね。謝っても謝り切れないけど
あれからは身近な人を、いつでも大切にしようって思えるようになったんだ。
今年も線香あげに行くよ。


【心に染みる】天国のあなたへ

コピペは、なかなか出典にたどりつくことのできない。検索しても、ネットの世界がコピペにあふれているために埋もれてしまうのだ。これも、2ちゃんねるに繰り返しコピペされていて、さまざまなまとめサイトに載っている。そして、その内容を一部Facebookに貼り付けることで、続きを読みたい人たちの個人情報を抜くのである。

とりあえずまとめさいとから。

http://hanalog.com/archives/23808948.html
↑2006年。著者名がある

http://blog.livedoor.jp/namida2ch/archives/29056851.html
↑2008年。名前が消えている

こんな感じだ。

著者名でたどっていくと、

http://www.geocities.jp/hecota248/sub21.htm
第1回 恋文コンテストの「きみまち恋文大賞」の受賞作であることがわかった。
http://akiko-tokyo-doso.main.jp/akihtml3/aki_tengokunoanata.html
ここを見ると、「第1回日本一心のこもった恋文」大賞らしい。

こうなってくると、どっちが正しいのかよくわからないが、まあ原作者は正しいのだろう。

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「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、 あなたを見送ってから、 もう半世紀が過ぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、 ほんのつかの間でした。
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、 今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのそばに行きたい。 あなたは三十二歳の青年、 私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、 お前はどこの人だなんて云わないでくださいね。
よく来たと云って、 あの頃のように寄り添って座らせてくださいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、 孫のこと、 また、 すぎし日のあれこれを話し、 思っきり、甘えてみたい。

あなたは優しく、 そうかとうなずきながら、 慰め、 よくがんばったねと、 ほめて下さいね。
そうして、 そちらの 「きみまち坂」 に連れて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、 なまめかしい新緑、 秋、 ようえんなもみじ、 冬、 清らかな雪模様など、
四季のうつろいの中を二人で手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、 あなたを思いつづけ、愛情をささえにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、 ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対にはなさないでくださいね。
(柳原タケ 八十歳 無職)

【3度目の流産】もう死にたいと絶望していた妻を救った小さな少年

同じFacebookで無料公開されているにもかかわらず、回ってくるこの記事。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=537788336295888&id=445034462237943
https://www.facebook.com/netmotivator/posts/533947036658858comment_id=4970462&offset=0&total_comments=1

タイトルもいろいろあるようだ。

http://kokorodo.net/e1827
↑赤と水色のおもちゃの指輪 ~もう私頑張れないかも。もう、駄目~
http://ameblo.jp/katsumi-0404/entry-11486450599.html
↑2つの指輪

など。個人情報を抜きたい方は、頭に「3度目の流産」と刺激的な言葉を持ってきているわけで、タイトルはシンプルにしたらいいんじゃないか。

どうやら、初出は2004年に2ちゃんねるに投稿されたものらしい。

--

「もう死にたい・・・。もうやだよ・・・。つらいよ・・・。」
妻は産婦人科の待合室で人目もはばからず泣いていた。
前回の流産のとき、私の妹が妻に言った言葉・・・

「中絶経験があったりすると、流産しやすい体質になっちゃうんだって。」

そのあまりにも人を思いやらない言葉に私は激怒し、
それ以来 妹夫婦とは疎遠になっている。
妻は口には出していないが、もの凄く辛い思いをしていたと思う。
だから、今日までなんとか2人で頑張ってきたが、3度目の流産。
前回も前々回の時も「また、頑張ろう」と励ましてきたが
励ます言葉が妻にプレッシャーをかけるような気がして、何もいえなかった。
いや、そうではない。今考えるとおそらく、3度目の流産を告げられて
子供がいない人生を私は模索し始めていたんだと思う。
私は、冷淡な動物だ。情けない。

「ごめんね・・・。でも、もう私頑張れないかも。もう、駄目だと思う。」
待合室に妻の嗚咽だけが響く。

「ううん・・・○○(妻の名前)が悪いわけじゃないんだから。
こればかりは、運だから・・・・。」
それ以上、かける言葉が見つからなかった。

その時、妻の隣に4~5歳ぐらいの男の子が座った。

「あのね、これあげるから、もう泣かないで」

その子が差し出した手の上には2つの指輪。おそらくお菓子のおまけだと思う。

男の子「水色のは泣かないお守り。こっちの赤いのはお願いできるお守り。」
私「いいの?だって、これ、ボクのお守りなんでしょ?。」
男の子「いいよ、あげるよ。ボクね、これ使ったら泣かなくなったよ。
    もう強い子だから、いらないの」
私「赤い指輪は?。お願いが叶うお守りなんでしょ?。これは、いいよ」
男の子「これね、2つないとパワーがないんだって。おとうさんが言ってた」

そう言うと男の子は「だから、もう泣かないで」と言いながら妻の頭を撫でた。
少し離れたところから「ゆうき~、帰るよ~」という彼のお父さんらしき人が彼を呼ぶと
男の子は妻の膝に2つの指輪を置いて

「じゃあね、バイバ~イ」と言って去っていった。

今時珍しい5分刈頭で、目がくりっとしたかわいい男の子だった。
私はその子の後姿をずっと目で追っていたが、ふと隣を見ると
妻は2つの指輪をしっかりと握り締めていた。
迷信とか宗教とかおまじないとか、そういったものはまったく信じない2人だけど
この指輪だけは、私たちの夢を叶えてくれる宝物に見えた。
その日から妻は、さすがに子供用の指輪なのでサイズが合わないため
紐をつけてキーホルダーにしていた。

それから2年半後の今年2月9日、我が家に待望の赤ちゃんが誕生した。
2770gの女の子。
名前は、あの男の子にあやかって「有紀(ゆうき)」にした。
生まれる前から、男の子でも女の子でも「ゆうき」にしようと決めていた。

ゆうきくん、あの時は本当にありがとう。
あの時、君に会えていなかったら、
君に慰めてもらえなかったら
今、この幸せを感じることはできなかったと思う。
私たち家族は、君に助けてもらいました。
君からもらった2つの指輪は、
娘のへその緒と一緒に、大事に保管してあります。
我が家の宝物です。
うちの娘も、君のように人に幸せを分けて上げられるような
子に育って欲しい。
本当に、本当にありがとう。

2014年2月8日土曜日

【泣ける話】離婚の条件

これが面白いのは、文中の

「離婚の条件」とつきつけてきた

という一文にある。正しくは、「~とつきつけてきた」でなく、「~をつきつけてきた」である。このあたりがコピペのだめなところだ。編集を繰り返すことで、より良くなるのならいいのだが。

--
http://ken313.blog50.fc2.com/blog-entry-1411.html

http://kokoroninokoru.blog.so-net.ne.jp/2013-12-23

仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。


ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」


その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」

その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!

深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。

承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。

その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。


朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。

それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。

僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。


僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。

僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。

それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。

妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。

2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。

妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。

4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。

5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。

日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。

ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ~っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」

その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!

愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。

僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。

そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」

息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。

妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!

僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。

彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。
そして最後の朝、

妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。

僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」

そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!

ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。

「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」

僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」

「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」

「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。

僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」

『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』
その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。

はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!

出迎えてくれた妻は

ベッドで冷たくなっていた。。。。

何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。

妻が「ガン」であったことさえも。

ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻が
この数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!

妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。

毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!

--

「気づいたときには遅かった・・・僕はその場で泣き崩れた。」とラストに入れているものがいくつかある。どこまでがオリジナルなのかはよくわからない。

【泣ける話】年上の彼女

『年上だった彼女』というタイトルのスパムもある。これは出典が2ちゃんねるのようなので、元のタイトルはない。まとめサイトによってつけたタイトルが違うのだろう。面白いのは、出典は「今から6年前の話です。」としているのに、スパムでは「今から10年以上前の話です。」となっているところ。確認できるのは2001年の投稿なので、投稿時に6年前ということになる。10年以上前、としておくと、いくらでも再利用できる。50年前も100年前も、10年以上前なのだ。それに、6年前を残すと、ポケベル全盛時代が追いかけてくることになるので、それも困る。こういう最低限の編集はやるようだ。

--

http://nakerutaikendan.blog.fc2.com/blog-entry-22.html



少し長編になるかもしれませんが
最近気持ちの整理もできたので書いてみます。

今から6年前の話です。(←スパムでは「10年以上前」となっている)

僕がまだ10代で、
あまり携帯電話は普及してなくて
ポケベル全盛期の時代のことです。


僕はその頃高校を出て
働いていたんですけど
2つ年上の女性と付き合っていました。

お互いの親にも会ったりして
僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。


毎朝ポケベルに
「オハヨウ」とか「ガンバッテネ」

みたいなメッセージの
やりとりをしていたのですが、

ある日

僕がメッセージを送るのが
めんどくさくて送らない日があって、
彼女からもメッセージは送られてきませんでした。


ちょうどその日は給料日で
僕は今日は彼女にメシでもおごろうと
どこに行こうか考えていました。

仕事が1段落つき、
昼休みに入り食事に行こうとした時に
僕宛の電話がなりました。


その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。


僕はその電話を置いた後、
しばらく何のことかわからなかったんですが、

「今意識不明だ」という言葉に
体中汗ばんだのを覚えています。


すぐに無理やり会社を早退し
彼女が運ばれた病院へ向かいました。

電車の中で
「実はたいした事ないんちゃうかな?」とか

自分に都合のいい方にしか
考えたくなかったんですが、

「もしかしたら・・」
って考えると周りに人がいるのに

ボロボロと涙が出てきて、
すごくさみしい気持ちが溢れてきました。


僕が病院に着く頃には、
意識が戻っている事を祈りながら
病院まで走っていきました。


彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると
彼女は集中治療室に入っている、
という事を聞いて事態の深刻さを悟りました。


外傷はほとんどなく、
脳にショックを受けたらしく
まだ意識は戻っていませんでした。


僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで
休む事を電話で伝えて病室の前で、
意識が戻るのを待つ事にしました。


その日は病院のソファーで、
ほとんど眠れずに夜を明かしました。


目の前のストーブで背中は寒かったのに
顔だけがすごく火照っていました。


結局その日は意識が戻る事なく
次の日の朝1番で着替えなどを
家にとりに帰りました。


病院に帰ってみると
明日手術ができるかどうかがわかるだろうという、
医者からの話があったそうです。


そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、
僕は会いたいような会いたくないような、
複雑な気持ちでしたが、

給食当番の時の様な服を着て
彼女に会いに部屋にはいりました。


部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで
その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。


まるで眠っているだけの様な顔で名前を呼べば
今すぐにでも起き上がってきそうでした。


手を握ると腕のあたりに、
点滴などの管が何本も刺されていて
容態の悪さを物語っているようでした。


それと唇が妙にカラカラに
なっているのが気になりました。

5分間をいうのは短いもので、
何か話しかけようとしたのですが、

なんとなく周りの目が恥ずかしくて
言葉らしい言葉をかけれませんでした。


その日は少し気分も落ち着いて
なぜか「絶対大丈夫!」という
根拠のない自信でいっぱいでした。


それからは彼女の意識が
戻ってからの事ばかり考えるようになり、

頭の手術するんやったら
髪の毛剃らなあかんから、
帽子がいるし買いに行こう! 


と、看病の事を考えて買い物に行く事にしました。


この時僕は目を覚ました彼女を
喜ばせる事だけを考えていました。


さっそく帽子を探しに行き、
キャップは似合わんし、

ニット帽だとチクチクするからという事で、
綿で出来た帽子を探して買いました。


買い物が済んで、帰ろうとした時に
街中を歩く女の子を見てると、

なんか自分が現実から少しズレた
場所にいるような気がして妙な不安を感じました。


その不安からか、彼女の意識が戻ったら
正式にプロポーズしようと
安物ですが指輪まで買って帰りました。


その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました。


次の日のお昼前、
彼女の父親だけが医者に呼ばれて

病状の説明を受けるとの事だったのですが、
無理を言って僕も同席させてもらいました。


どうしても自分の耳で
医者から聞きたかったんです。


多分あれほど緊張した事は
今までになかったと思います。


医者の部屋に入って、
医者の顔色を見てみると
どっちともとれない無表情な顔をしていました。

医者が口を開いて、
簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、

病状はよくなるどころか
病院に運ばれた時点ですでに手遅れでした。


僕はこれを聞いて頭がグラグラして
椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。


どうやら今治療をしている様に見えるのは、
家族に心の準備をさせる為に
無理やり心臓を動かして、

体だけ生かして少しずつ
悪い方向へ持っていくというものでした。


僕は部屋を出て彼女の父親に、
家族にはまだ言わないで欲しいと言われ

泣き出しそうなのをこらえて、
母親に話かけられても「用事が出来た」とだけ言い残して、
誰もいない場所まで走りました。

街中であれだけ涙を流して
大声で泣いたのは初めてでした。


それからちょうど涙が枯れた頃、
病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。
その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。


二人ともほとんど無言で風呂に入り、

話す事といっても関係ない
どうしようもない会話ばかりでした。


僕は彼女の父親にはどうしても
聞いておきたい事がありました。


僕が彼女と結婚するって言ったら
許してくれるかどうかでした。


今考えると絶対に聞くべきではない時に
聞いたような気がします。

病院に戻る前に父親を呼び止めて
ストレートには聞けなかったのですが、


買ってきた指輪を彼女の指に
つけてもいいか?と聞きました。


彼は黙ってうなずくだけでした。


その夜は眠る事ができなくて、
家族と顔をあわせると
泣いてしまいそうで外で一人で過ごしました。


次の日また5分だけ面会できるということだったので、
もう1度彼女の顔を見に行きました。
彼女の顔は相変わらず眠っているようで
もう目を覚まさない事がウソのようでした。
僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。
もう何の意味もないのはわかっていましたが、
少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。
みんなが部屋を出た後僕は忘れ物をしたそぶりをして
ベッドの側に戻り、彼女のカラカラの唇にキスをしました。

それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。
医者が言うにはもう長くないので
少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。
僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。
何もする事もなかったのですが、
話かけると声が届いてるような気がして
耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。
そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて
みんなを呼んでくださいみたいになって、
みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる
機械に異変が見られるようになりました。
最後まで僕に片方の手を握らせてくれた
彼女の家族に感謝しています。
それから1時間ほど経った後、
そのまま静かに心臓が停止しました。
僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、
覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、
医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。

そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。
僕が握っていた彼女の手がものすごい力で
僕の手を握り返してきたのです。
僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。
しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。
僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。
すると彼女の母親が
「きっと一生懸命看病してくれたからありがとうって言ってるんやで」
って言ってくれました。
冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、
その彼女の母親の一言で僕は今まで道を間違わずにこれたと思います。

年上だった彼女は今では僕の方が年上です。

長くなってすみませんでした

【心が締め付けられる、泣ける話】 「深夜23時の電話」

『下書き保存されたメール』というタイトルもあるようだ。これは亜種が多い。亜種は、後ろに感想がついている。亜種はすべてフリーで読めるものだから、個人情報を吸い取ろうとしているサイトが、オリジナルをそのままコピペしているのか、それとも亜種をコピペしているのかはわからない。


--

http://ameblo.jp/korohikoro/entry-11602714522.html

http://blogs.yahoo.co.jp/hidetoshikuma/9366725.html


俺の彼女はよく風邪をひく。

付き合って3年、
風邪をこじらせて入院する事今までで4回。

...
退院すると、

「心配かけてごめーん」

なんて、へらへら笑って。


だから、今回だってそうやって
帰ってくると思ってた。






「今日も忙しい?」


仕事の片付かない夜9時を回ったオフィスで、
入院中の彼女からメールが来た。


忙しいなんてもんじゃない。

明後日、
凄く大きな商談があるんだ。


昼間は営業に回って、
夜プレゼンの資料を
作らないととてもじゃないが
間に合わない。


彼女が入院して一週間、
仕事に追われてて見舞にも行けてない。


申し訳ないとは思いながら、
とにかく目の前の仕事を
なんとかやり遂げたかった。



明後日無事にプレゼンが終わったら、
顔でも見に行ってやろうかな。



花買っても、お菓子じゃないの~とか、
子供みたいな事言うんだよな。


病人なんだから、
菓子ばっかり食うなってのに。


仕事しながらも、
彼女に会えるのが楽しみだった。

だから、仕事も頑張れた。






ようやく家に帰れると思った深夜11時、
彼女から電話が来た。

正確には彼女じゃない、
彼女のお母さんだった。





風邪から肺炎を起こして、
こじらせて呼吸障害を起こして亡くなったと。




何を言われているのか、わからなかった。




とにかく、タクシー捕まえて病院に行った。


病院までの時間が、
いやに長く感じた。











俺が見た彼女は白い服を着て、
手を握り合わせて、
じっと目を閉じていた。



肺炎で呼吸障害なんて嘘のようだ。

こんなに顔、綺麗なのに。


彼女の眠るベッドサイドに、
俺とお揃いの携帯電話。


普段から携帯見せ合っていたせいか、
無意識に彼女の携帯を開いてた。




送信メールは俺宛てのメールでいっぱいだった。



でも受信メールは、お母さんからのメールがほとんど。



俺、忙しさを理由に
メール返していなかったんだ。




ふと、

下書き保存されたメールが
16通もある事に気付いた。







「心配かけたくなかったけど、本当はね、肺癌なんだって」

「会いたいよ~(>_<)」

「お見舞来てよ~(笑)」




全部、俺宛てだった。






保存された1番最近のメールは、

彼女が息を引き取るほんの1時間前のメール。







「ねぇ、どうしても今日会えないかな?」





いつもみたいに、
へらへらしながら帰って来るんだ
って思ってた。



こんなに送れないメールを書いてたなんて・・・



知らなかった。




忙しい合間を縫って、
病院に来ていれば良かった。


もっと、色々してやればよかった。







もう呼んでも返事はない。



俺の泣き声も、届かない。

魂が震える話 ~ 歩けるはずのなかったバージンロード

これもいろいろな亜種があるようだが、出典は『結婚式で本当にあった心温まる物語』であるようだ。
http://amzn.to/1f2GXcF
これですな。

ネット上では、けっこういろいろなところに拡散されているので、容易に全文を読めるだろう。

面白いのは、出だしの「1ヵ月後に」の1と小さなカが全角であること。こういうので、コピペということがわかるのだ。

--

1ヵ月後に挙式を控えた新婦のお母様から電話がありました。


「あの、バージンロードのことなんですが、エスコート役は直前でも変更可能なのでしょうか」


事前のお打合せでは、お父さまの足がご不自由なため、新婦の7つ年上のお兄さまがお父さまの代わりに歩かれることになっていました。


「大丈夫ですが、お兄さまのご都合が悪くなってしまったのでしょうか」


いったいどうしたのだろうと、おうかがいすると、


「娘には内緒なのですが、実は主人が歩く練習をしているんです」


「娘の結婚式が決まってからというもの、時間ができると『リハビリに連れて行ってくれ』と言うようになって、それも子どもたちには内緒で」


「バージンロードを歩くために、ですか」


私は胸がいっぱいになりました。


「わかりました。ぜひ、お父さまにお願いしたいです。」


(中略)


支度を終えた新婦がバージンロードの前で待機していると、車椅子のお父さまとお母さま、そしてお兄さまがこられました。


「お兄ちゃん、よろしくね」


新婦が声をかけると、ウエディングドレス姿の妹を見つめながら、お兄さまは黙って首を横に振りました。


「えっ、どういうこと?」


答えの代わりに、お兄さまが少しかがんでお父さまに肩をかされました。


お母さまは既に涙ぐみながら、お父さまに杖を手渡されます。


「え・・・、お父さん?」


「行くぞ」


「・・・・はい」


新婦は瞳をうるませて、お父さまの腕に手をかけました。


お父さまがエスコートするのではなく、新婦がお父さまを助けるかのように支え、歩みを合わせているのが、こちらからもわかります。


お父さまは堂々と前を向かれ、歩みを進めていきました。


新郎の背中をぽん、と叩き「頼んだぞ」とお父さまの声が聞こえたような気がしました。


披露宴の半ば、


突然司会者がこう切り出したのです。


「本来、ここで祝電を披露させていただくのですが、

ここに一通のお手紙をお預かりしておりますので、ご披露させていただきます。

差出人は新婦のお父さまです。それでは、代読いたします。


___


しのぶへ。


私は静岡の田舎で男兄弟ばかりの中で育ったものだから、女の子をどう育てていいのかわからず、母親に任せっきりにしていました。


運動会や学芸会もほとんど行けず、仕事ばかりしてきた父親でした。


すまないと思っています。


ただ、父親の務めであると思いながら、どんな仕事も一生懸命やってきました。それだけは自信を持っています。


とはいっても、あなたにとってみれば、厳しくて、門限にもうるさくて、うざったい父親だったでしょう。


でも、君がうちの娘に生まれてきてくれたこと、


本当にうれしかったんだ。


今まで言ったことなかったけど、


本当にありがとう。


今日、あなたが花嫁となって、岡崎家の人間から梅村家の人になっていくこの日に、どうしても何かしたくて、


恥をしのんで、お母さんとリハビリをがんばった。


これで今まで何もできなかったことは許してもらえるとうれしいです。


寛くん。どうぞ、しのぶをよろしくお願いします

___


あふれ出る涙をぬぐう新婦。その横では、新郎がお父さまに向かって頭を下げています。


会場のあちこちで、鼻をすする音が聞こえてきました。


読み終えたお父さまからの手紙をしまった司会者が、もう一通、封筒を取り出しました。


「実は、新婦からもお手紙を預かっております。続けてご披露させていただきます」


その手紙にはこんなフレーズがありました。


「・・・いつも怒ってばかりで、門限も厳しくて、お父さんの存在が嫌になったこともたくさんありました。


でも、今は、厳しく育ててくれたことにとても感謝しています」



先ほどまで堂々とされていたお父さまも、目を真っ赤にしていらっしゃいます。


会場は感動に包まれ、温かくやさしい拍手がしばらく鳴りやみませんでした。

_______

「結婚式で本当にあった心温まる物語」

山坂大輔 著  あさ出版より

【思わず涙する感動ストーリー】母からの手紙

また『泣ける話・感動する話 – 涙腺崩壊』からのコピペ。元は『母より』だ。まあこれはどっちでも一緒だろうか。母からの手紙で検索すると、別のまとめやほりえもんが出てくる。そういう意味で、タイトルは一般的なものをつけた方がいいのかもしれない。もう少し頭が回る奴らであれば、文章の一部を変更すると、より見つかりにくくなるのだが、そこまではやらないようだ。


--

http://nakeru.e-wadai.net/family/1073/

泣けるかどうかはわからないけど・・・

僕の高校時代はとても悲惨でした。
と言っても友達はいたし、虐められてたわけでもない。
何が悲惨だったかというと、1年生の時に母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。
僕と父を残して。

とても悲しくなりました。
なんで僕を置いて行ったんだ?と。
僕は捨てられたんだ、と。
怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。
父は何も言わず、ただただ仕事が忙しいと家に帰ってきませんでした。



そして僕の高校3年生の誕生日の日に一通の封筒が届きました。
封筒は母から僕に宛てられたものでした。
中には3つの誕生日カードと1つの手紙が入っていました。
誕生日カードは字を覚えた妹と兄、そして母のものでした。
誕生日カードは開くとオルゴールが鳴り出す仕組みだったのを覚えています。

妹は、「お誕生日おめでとう。お兄ちゃん。私は元気です!」
兄は、「誕生日おめでとう。元気にしているか?」
母は、「お誕生日おめでとう。体は大丈夫ですか?」
破りたくなった。何を今更。と思った。

しかし、一緒に入っていた手紙を見た瞬間、涙が溢れてきました。
手紙には、
「あなたも一緒に連れて行きたかった。でも、あなたが必死に勉強して入った高校を辞めさせる事は母親として出来なかった。本当にごめんね。こんな母親でごめんね。もしも願いが叶うなら、私が死ぬまでに一回だけでいいから、あなたに会いたいです。母より」
と書いてありました。

僕は中学生の時、母親に大学に行きたい。と言ったことを思い出しました。
母が僕が大学に行くには父の所にいたほうがいいと思って、僕をあえて連れて行かなかったんだと知ったんです。
母にはまだ会えていませんが。
いつか会いに行きたいと思っています。



~思わず涙する感動秘話~ ママのビデオメッセージ

出典では、『ママのビデオ』になっている。でもこれはまとめサイトであり、元々2chに書き込まれたときに、タイトルがついていたのかどうかはよくわからない。『天国からのビデオレター』というタイトルのものもある。業者はビデオやビデオレターよりビデオメッセージの方がいいと判断したわけで、その判断は間違っていないだろう。しかし、これ感動する話なんだろうか、本質は怖い話じゃないのかな。

--
http://kandoustory.con-ple.com/%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA-390.html

サキちんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。
だから、こうやってしか会えない。 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ! ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。 なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 …… サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。 あなたの成長を見つめていたい…。
じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。 それは、『ママを忘れる魔法』です。 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。 天国のママに見てもらうために

【凄く泣ける話】13年後のクレヨンしんちゃん...

元は2ちゃんねる。『十三年後のクレヨンしんちゃん』と漢数字になっているようだ。この話で個人情報を抜こうとしている奴らはいろいろといるようで、【凄く泣ける話】だけでなく、【思わず涙する感動ストーリー】や単に【感動する話】など、さまざまな亜種があるようだ。


--

http://www.geocities.jp/vipkureyonmatome/kureshinlog.htm
↑まとめ

http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1144341705/
↑ソース

僕はシロ。


しんちゃんのともだち。



十三年前に拾われた、一匹の犬。



まっ白な僕は、


ふわふわのわたあめみたいだと言われて。


おいしそうだから、抱きしめられた。



あの日から、ずっといっしょ。


「行ってきマスの寿司~~~~~~。」



あいかわらずの言葉といっしょに、


しんちゃんは家から飛び出していった。



まっ黒な上着をつかんだまま、


口に食パンをおしこんでいるところを見ると、


今日もちこくなんだろう。



どんなに大きな体になっても


声が低くなっても、朝に弱いのは昔から。


特に今年は、


しんちゃんのお母さんいわく


『ジュケンセイ』というやつだから、


さらにいそがしくなったらしい。



たしかに、ここのところのしんちゃんは、


あんまり僕にかまってくれなくなった。


しかたのないことだとしても、なんだかちょっと、うん。


さみしいかもしれない。



せめてこっちを見てくれないかな、


と言う気持ちと、がんばれという気持ち。


その二つがまぜこぜになって、


とにかく少しでも何かしたくなって。



小さくほえてみようとしたけれど、出来なかった。


なんだかとても眠たい。


ちかごろ多くなったこの不思議な感覚、


ゆっくりと力が抜けていくような。


あくびの出ないまどろみ。



閉じていく瞳の端っこに、


しんちゃんの黄色いスニーカーが映って。



ああ今日もおはようを言い損ねたと、


どこかで後悔した。


ぴたぴたとおでこを触られる感覚に、急に目が覚める。


いっぱいに浮かんだ顔に、おもわず引きぎみになった。


ひまわりちゃんだ。



「シロー。朝ご飯だよ。」



そう言いながらこちらをのぞき込んでくる顔は、


しんちゃんに似ていて。


やっぱり兄妹なんだな、と思う。



「ほら、ご飯。」



ひまわりちゃんは、片手で僕のおでこをなでながら、


もう片方の手でおわんを振ってみせる。


山盛りのドッグフード。


まん丸な目のひまわりちゃん。



あんまり興味のない僕のごはん。


困った顔のひまわりちゃん。


僕は、それをかわるがわる見ながら、


迷ってしまう。



お腹は減っていない。



でも食べなければひまわりちゃんは、


もっと困った顔をするだろう。



でも、お腹は減っていない。


ひまわりちゃんは、悲しそうな顔になって、


僕の目の前にごはんを置いた。


そして、両手でわしわしと僕の顔をかきまわす。


ちょっと苦しい。



「お腹減ったら、食べればいいよ。」



おしまいにむぎゅうっと抱きしめられてから、そう言われた。



ひまわりちゃんは立ち上がると、


段々になったスカートをくるりと回して、


そばにあったカバンを持つ。


学校に行くんだ。



いってらっしゃいと言おうとしたけれど、


やっぱり言う気になれなくて。


僕はぺたんとねころんだ。



へいの向こうにひまわりちゃんが消えていく。


顔の前に置かれたおちゃわんを、僕は鼻先ではじに寄せた。



お腹は、ぜんぜん空いていない。



ごはんを欲しいと思わなくなった。


おさんぽにも、あんまり興味はなくなった。



でも、なでてもらうのは、まだ好き。


抱きしめられるのも、好き。


『ジュケンセイ』っていうのが終わったら、しんちゃんは。


また僕をいっぱい、なでてくれるのかな。


抱きしめてくれるのかな。


そうだといいんだけど。


目を開くと、もう辺りはうすむらさき色になっていて。


また、まばたきしているうちに


一日が過ぎちゃったんだと思う。


ここのところ、ずっとそうだ。


何だかもったいない。


辺りを見回して、鼻をひくひくさせる。


しんちゃんの匂いはしない。



まだ、帰ってきてないんだ。



さっき寄せたはずのおちゃわんのごはんが、


新しくなっている。お水も入れ替えられている。


のろのろと体を起こして、お水をなめた。


冷たい。



この調子なら、


ごはんも食べられるかと思って少しかじったけれど、


ダメだった。



口に中に広がるおにくの味がキモチワルイ。


思わず吐き出して、もう一度ねころがる。


夢のなかは、とてもしあわせな世界だった気がする。


僕はまた夢を見る。


しんちゃんと最後に話したのは、いつだっただろう。


僕はしんちゃんを追いかけている。


しんちゃんはいつものあかいシャツときいろいズボン。


小さな手は僕と同じくらい。



『シロ、おて』



『シロ、おまわり』



『シロ、わたあめ』



『ねえしんちゃん。僕はしんちゃんが大好きだよ。』



『オラも、シロのこと、だいすきだぞ。


シロはオラの、しんゆうだぞ!』



わたあめでいっぱいのせかいは


いつもふわふわでいつもあったかで


いつまでもおいかけっこができる



いつまでも・・・。


また朝がきた。


でも、その日はいつもと違っていて。


しんちゃんのお母さんが、僕を車に乗せてくれた。


しんちゃんのお母さんの顔は、気のせいか苦しそうだった。


車はまっ白なお家の前で止まって、


僕は抱きしめられたまま下ろされる。


そして一回り大きなふくろの中につめられた。


まっくらだ。どうしようか。



昔なら、びっくりしてあばれてしまったかもしれない。


でも今は、そんな力も出ない。



とりあえず丸くなると、体がゆらゆらとゆれた。


それがしばらく続き、次にゆれが収まって、


足もとがひんやりとしてくる。


いきなり辺りがまぶしくなった。


目をぱしぱしさせていると、


変なツンとした匂いがする手につかまれ、持ち上げられる。


いっしゅんだけ体が宙に浮いて、


すぐに冷たい台の上に下ろされた。



まっ白い服を着た人が、目の前に立っている。


そばには、しんちゃんのお母さん。


二人が何かを話している。


白い人が、僕の体をべたべた触る。


しんちゃんのお母さんが、泣いている。


どうして泣いているのか解らないけれど、なぐさめなくちゃ。


でも、体が動かない。


またあの眠気がおそってくる。


起きていなきゃいけないのに。


なんとか目を開けようとしたけれど、ひどく疲れていて。


閉じていく瞳を冷たい台に向ければ、


そこに映るのは、うすよごれた毛のかたまり。


なんて、みすぼらしくなってしまったんだろう。


ああそうか、僕がこんなになってしまったからなんだ。


だからなんだ。



だからしんちゃんは、僕に見向きもしないんだ。


おいしそうじゃないから。


あまそうじゃないから。



僕はもう、わたあめにはなれない。


わたあめ。


ふわふわであまあまの、くものかたまり。



いちど地面に落ちたおかしは、もう食べられないから。


どんなにぽんぽんはたいても、


やっぱりおいしそうには見えないよね。



だけど、君はいちど拾っててくれた。


だれかが落として、もういらないって言ったわたあめを。


だから、もういいんだ。


何かにびっくりして、僕はまた戻ってきた。


見なれた僕のお家。


いつもの匂い。


少しはだざむい、ゆうやけ空。


口の中がしょっぱい。



「なんで!!!!!!」


いきなり、辺りに大声が響いた。


びりびりとふるえてしまうような、いっぱいの声。


重たい体をひきずって


回り込んで窓からお家の中をのぞきこむ。



しんちゃんのお父さんとお母さん、ひまわりちゃん。


そして、僕の大好きなしんちゃんも。


みんなみんな、泣いていた。


「母ちゃんの行った病院は、ヤブだったに決まってる!!


オラが、他の病院に連れてくぞ!!!」



しんちゃんが、ナミダをぼろぼろこぼしながら、怒っている。


ひまわりちゃんも、うつむいたまま顔を上げようとしない。



「しんのすけ、落ち着け。仕方ないんだ。」



しんちゃんのお父さんが、


ビールの入ったコップをにぎりしめたまま呟いている。



「仕方ないって、父ちゃんは…


ホントにそれでいいの!!!???」



「良いわけないだろ!!!!!」



しんちゃん以上のその大きな声に、


だれもなにも言わなくなった。


その静かな中に、しんちゃんのお父さんの低い声が、


ゆっくりひびく。



「しんのすけ、良く聞け。


いいか、生き物はいつかは死ぬんだ。


それは、俺たちも同じだ。


……もちろん、ひまやお前の母さんもそうだ。それが今。


その時が、いま、来ただけなんだよ。解ってたことだろう?」



しんちゃんは、なにも言わない。


しんちゃんのお母さんも、続ける。



「あのね、ママが最初ペットを飼うのに反対したのはね、


そう言う意味もあるの。


しんちゃんに辛い思いをさせたくなかったから…ううん。


私自身が、そんな辛いお別れをしたくなかったから。


だから、反対してたの。



でも、もうこうなっちゃった以上、仕方ないでしょう?


せめて、最期を看取ってあげることが、


私たちに出来る一番良い事じゃないの?」



「最期って!!!」


しんちゃんが泣いている。


ぼろぼろ泣いている。


手をぎゅっとにぎりしめて。


僕よりもずっと大きくなってしまった手を、ぎゅっとかたく。



僕の体のことは、たぶんだれよりも僕自身が一番知っていて。


でも、いいと思っていた。


このままでもいいって。


だって夢の中はあんなにもあったかくてあまくって。



だからずっとあそこにいても、かまわないと思ってたんだ。


それじゃだめなの?



しんちゃんがこっちを見た。


しばらく目をきょろきょろさせたあと、


僕を見付けて、顔をくしゃくしゃにさせる。


「シロ。」



名前を呼ばれた。


本当に、ひさしぶりに。



「わん...。」



なんとか声が出た。


本当に小さくて、


ガラスごしじゃあ聞こえないかと思ったけれど。


でも、たしかにしんちゃんには届いた。


しんちゃんが近付いてくる。


窓を開けて、僕に手をのばして。



「大丈夫、オラが、何とかしてやるぞ。」



やっと抱きしめてくれたしんちゃんの胸は、


いっぱいどくどく言っていて、


夢の中の何十倍も、とってもあったかかった。



ねえ、よごれたわたあめでも...。


僕は夢を見る。


何度目になるかはわからない夢。


でも、それは今までとはちがう夢。


僕は段ボール箱に入っていて、


そのはじをしんちゃんがヒモで三輪車に結びつけている。


三輪車がいきおいよく走る。



箱ががたがたゆれて、ちょっときもちが悪い。


ふいに、その箱から引っぱり出され


僕は自転車のかごに乗せられた。


小さな自転車。


運転しているのはしんちゃん。


せなかにはまっ黒なランドセル。


シロに一番に見せてやるぞって、


嬉しそうにしょって見せてくれたランドセル。



まだまだ運転は下手だったけど、


とってもあたたかかった、春。



自転車のかごが一回り大きくなる。



くるりとまわると、しんちゃんが今度は、


まっ白なシャツを着ていた。


自転車も、新しくなっている。


もうよたよたしていない。


スピードも、速い。


そういえば、


よくお母さんに怒られたとき、ナイショだぞって、


僕をこっそりフトンの中に入れてくれたよね。


もちろん次の日には、お母さんに怒られるんだけど、


それでもやめなかった。


二人だけのヒミツがあった、きらきらしてまぶしい、夏。



ぼんやりしていたら、ひょいっとかごから下ろされた。


代わりに自転車を押しているしんちゃんのとなりに並んで歩く。



しんちゃんはずいぶん背が伸びて、


お父さんと変わらないくらいになった。


お母さんといっしょに使っている自転車が、


ぎしぎしと音を立てる。


でも、どんなに大きくなっても、


きれいな女の人に目がいくのは変わらない。



こまったくせだなあと思いながらも


どこか安心してる僕がいる。


いつまでも変わらないでいて欲しかった、


少しだけ乾いた風が吹く、秋。


寒い冬。



あんまり話してくれなくなった。


おさんぽも、少なくなって。


こっちを見てくれることも少なくなった。


見えるのは横顔だけ。


楽しそうな、悲しそうな。


ぼんやりした、困った。


怒っているような、悩んでいるような。



そんな、横顔だけ。



寒い冬。


小屋の中で、ひとりで丸くなっていた、冬。



寒かった冬。


でも、冬は春への始まり。


あたたかな春への始まり。


僕は丸まって、わたあめのようになって、


あったかいうでの中で。


春の始まりをまっている。



たとえそれがほんのいっしゅんのものでも。



かしゃん、という、なにかがたおれる音がして、


僕は目を開けた。


電灯がぽつりぽつりとついた、暗い道の真ん中で、


見なれた自転車が横になっている。


のろのろと首を上げると、しんちゃんの前髪が顔に当たった。


道のはじっこのカベに、


もたれかかるようにしてしゃがみ込むしんちゃん。



その体はひっきりなしにふるえていて、とても寒そうだった。


僕を抱きしめたまま、動こうとしないしんちゃん。


しんちゃんに抱きしめられたまま、動くことができない僕。



ああだれか僕の代わりに、しんちゃんを抱きしめてあげて。



「ごめんな、ごめんなシロ。オラ、何にも出来なかった。」



ぽつりぽつりと、しんちゃんが話しかけてくれる。



「いっぱい病院回ったんだ、でも、どこも空いて無くて。


空いてるトコもあったんだけど、


大抵シロを一目見ただけで…何も。


あいつらきっとお馬鹿なんだぞ。


お馬鹿だから、何にも出来ないんだ。」



しんちゃん、泣いてるの? ねえ、泣かないで。



「でも、ホントにお馬鹿なのは……オラだ。」



しんちゃんなかないで。



「オラっ……シロがこんなになってるの、気付かなくて…!!


ずっと、一緒にいたのに…親友だって……思ってたのに、


なのに!!!」



なかないで、もういいから。



「シロっ…………。」


しんちゃんが泣いている。僕はなにもできない。
せめて元気なところを見せようと思って、僕はしんちゃんのほっぺたをなめた。
しんちゃんのほっぺたは、少しだけ早い春の味。

僕がメスだったら、しんちゃんのために子供を作っただろう。
僕が居なくなっても、寂しくないように。
僕がわたあめだったら、しんちゃんのためにせいいっぱい甘くなっただろう。
僕が食べられても、甘さが少しでも長く口にのこるように。
僕が人間の手を持っていたら、しんちゃんを抱きしめただろう。
僕がしんちゃんにもらった、温もりを返すために。
僕が人間の言葉をしゃべれたら。

きっと、いっぱいいっぱいのありがとうとだいすきを、君に。

ひっきりなしにこぼれるナミダをなめながら、僕はあることに気が付いた。
僕はここを、今しんちゃんがすわりこんでいるここを、知っている。
ここは、僕と君が初めて会ったところ。
僕と君との、始まりの場所。

僕は待っていた。
あきらめながらも、いつか。
いつか、おっこちたわたあめでも。
おいしいそうだって言ってくれる人が。
ひろいあげて、ぱんぱんってして。
まだ食べられるぞって、言ってくれる人が、来てくれるって。

「シロ。」
名前をよばれて、僕は顔を上げる。しんちゃんが、笑っていた。
まだまだナミダでいっぱいの顔で、それでも笑っていた。
「シロ、くすぐったいぞ。
 そんなにオラの涙ばっか舐めてたら、しょっぱい綿飴になるぞ。
 しょっぱいシロなんて、美味しそうじゃないから。
 だからシロ、オラ、待ってるから。
 今度はオラが待ってるから。」

しんちゃん。

「だから、もう一度、美味しそうな綿飴になって。
 そんでもって、戻ってくるんだぞ。」

だいすき。

ぼくはしんちゃんに抱きしめられながら、さいごの夢を見る。
もういちど、わたあめになる夢を。
もういちど、おさとうになって、とかされて。
くるくるまわって、あまい、あまいわたあめになる。

目ざめたときに、だれよりも、
君がおいしそうだって言ってくれるわたあめになるために。

ふわふわのわたあめ。さくらいろの、あったかなわたあめ。
君が大好きだっていうキモチをこめた、君だけのわたあめ。

僕はシロ、しんちゃんのしんゆう。十三年前に拾われた、一匹の犬。
まっ白な僕は、ふわふわのわたあめみたいだと言われて。
おいしそうだから、抱きしめられた。

僕はシロ、しんちゃんのしんゆう。
今度はさくらいろの、ふわふわのわたあめになって。
君に、会いに行くよ。

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http://ameblo.jp/keisukeeigi/entry-11397209493.html
こんなのもあった。ラストが、「君に。君に、会いに行くよ。」と君にを繰り返している。そっちの方がいいと思ったのかなあ、と考えるとちょっと恥ずかしい。これは繰り返さない方がよさそう。



【泣ける話】父とのキャッチボール

元のタイトルは、単に「キャッチボール」。しかし、『泣ける話・感動する話 – 涙腺崩壊』からの引用、というかコピペが多い。どっちなんだろう。大元があって、それを両者がコピペしていると考えることもできるんだけれど。

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http://nakeru.e-wadai.net/family/1047/


私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、
「地区大会の決勝で9回に逆転されあと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、小さい頃良く聞かされていました。

そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。
父も良くキャッチボールをしてくれました。
そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、高校に入った私は迷わず野球部に入部しました。

ところが、高校入学と時を同じくして、父が病に倒れてしまいました。
その後入退院を繰り返し、高校1年の冬からはずっと病院に入院したきりになってしまいました。
父の体がどんどん細くなっていくのを見るにつれ、なんとなく重大な病気なのかなとは感じました。
父は、病床で私の野球部での活動内容を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。

そんな高校2年の秋、私はついに新チームのエースに任命されました。
それを父に報告すると、一言
「お前、明日家から俺のグローブ持って来い!」と言われました。

翌日病院にグローブを持っていくと、父はよろよろの体を起こし、私と母を連れて近くの公園の野球場に行くと言いました。
公園に着くと父は、ホームベースに捕手として座り、私にマウンドから投げるように要求しました。
父とのキャッチボールは、小学校以来でした。
しかも、マウンドから座った父に向かって投げたことはありませんでした。

病気でやせ細った父を思い、私は手加減してゆるいボールを3球投げました。
すると父は、怒って怒鳴り、立ち上がりました。
「お前は、そんな球でエースになれたのか!?お前の力はそんなものか?」と。
私はその言葉を聞き、元野球部の父の力を信じ、全力で投球することにしました。

父は、細い腕でボールを受けてくれました。
ミットは、すごい音がしました。
父の野球の動体視力は、全く衰えていませんでした。
ショートバウンドになった球は、本当の捕手のように、ノンプロテクターの体全体で受け止めてくれました。
30球程の投球練習の後、父は一言吐き捨てるように言いました。
「球の回転が悪く、球威もまだまだだな。もう少し努力せんと、甲子園なんか夢のまた夢だぞ」と。

その数週間後、父はもう寝たきりになっていました。
さらに数週間後、父の意識は無くなりました。
そしてある秋の日、父は亡くなりました。
病名は父の死後母から告げられました。
ガンでした。

病院を引き払うとき、ベッドの下から一冊のノートを見つけました。
父の日記でした。
あるページには、こう書かれていました。
「○月○日  今日、高校に入って初めて弘の球を受けた。弘が産まれた時から、私はこの日を楽しみにしていた。
びっくりした。すごい球だった。自分の高校時代の球よりはるかに速かった。
彼は甲子園に行けるかもしれない。その時まで、俺は生きられるだろうか?
できれば球場で、弘の試合を見たいものだ。
もう俺は、二度とボールを握ることは無いだろう。
人生の最後に、息子とこんなにすばらしいキャッチボールが出来て、俺は幸せだった。ありがとう」


【涙腺崩壊】神様がくれたミッション

元のタイトルは「笑顔をたやさない」などのようだ。タイトルは元より良くなっている。これ編集するのであれば、ナースを語り手にして傍観者的にやるのではなく、死んでいく人を語り手にした方が泣ける文になりそうな気がするんだけれど。そうすると、タイトルは神様がわたしにくれたミッション、とそのまま抜いたらいい。まあそんなことすると面倒くさいので、このまま個人情報抜けた方がいいですわな。

--
http://nakeru.e-wadai.net/family/978/
↑笑顔をたやさない
http://matome.naver.jp/odai/2135478308009128501
↑絶対に笑顔をたやさない

私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。

ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり半年もつか分からない状態でした。

彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりしたタレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは彼女もしっていました。
けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、とっても優しい人でした。
私と彼女は同い年でした。私は彼女を尊敬しました。

彼女は上智大学の4年生でした。
彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と言っていました。
彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれてよく英語を教えていました。

彼女にはお母さんがいませんでした。
彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。



彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。
本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。
心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。
そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。

私は泣きました。
ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートをみせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページにこう書いてあったのです。

ありがとう
ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男手ひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。


彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。


それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは私の病院で入院しています。
おとうさんは癌になってしまいました。

けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思ってあの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します。

【最終話後の感動ストーリー】「あれからの湘北高校」

スラムダンクという人気漫画をダシにして、動画というのは新たな手口だ。

亜種として、
SLAM DUNK 最終回から10日後の話「あれからの湘北高校」
SLAM DUNK、幻のアフターストーリー。
とタイトルにつけているものも確認された。

--
「あれからの湘北高校」(動画:10分)

感動的なラストで幕を閉じられた

SLAM DUNK。

実は、作者の井上雄彦氏が

廃校になる校舎の黒板に書いた

最終話後のストーリーがある事は、

ご存知ですか?

最終回から10日後の設定で描かれています。

最終話後の感動ストーリー

是非ご覧下さい。→

--

と誘導してくる。興味があったらクリックしてしまうだろう。動画だからどこにあるのか探しにくいんじゃないか、と検索するとあっさり見つけてしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=hvoXigxN7cc

こちらでございますな。長さもきっちり10分だ。

【4000万人が泣いた!】感動の物語 ~ 『1ドル11セントの奇跡』

「出典:4000万人が泣いた 心に残る感動の物語」とある。
http://amzn.to/1gaZKoi
これですな。
この書籍名を、タイトルにしている。そして、小話のタイトルを1行目に持ってきた。これはうまいやり方だ。Facebookでいいねを押してしまった人のウォールにリンクが表示されるときに、きちんとタイトルもボックスの中で見えるようになっている。


--
http://ameblo.jp/richtn77/entry-11574660137.html
↑これはコピペと同じソースっぽい

http://orangesom-orangesom.blogspot.jp/2011/09/blog-post_19.html
↑日本語は読みにくい。もしかしたら原典の翻訳だろうか。タイトルは「奇跡の値段」になっている。



年のわりには大人びた少女テスは、
両親の会話を盗み聞きしていました。

弟のアンドリューについての話です。

アンドリューの病気がかなり重く、
我が家には治療費がないという話でした。

パパは家賃も払えなくなり、
来月からはスラム街のアパートへ引っ越す予定です。

弟の病気を治すには、大きな病院へ移り、
お金をたくさん払って手術を受けなければなりません。
でも、そんな大金を貸してくれる人なんてどこにもいません。


パパが言いました。

「アンドリューは奇跡でも起こらない限り、助からない…」

テスは急いで部屋へ戻り、タンスの中に隠してあったガラスの貯金箱を取り出しました。

お金を数えてみると1ドル11セントあります。
貯金箱を抱え、テスは裏口からそ~っと家を抜け出しました。



テスは走りました。

いくつもいくつも、バス停を超えてゆきました。
そして、やっと、赤いインディアンの絵が描かれた「レクセルさんの薬局」が見えてきました。


テスは息を切らしながら薬局に入りました。

レクセルさんはテスに気がつきません。
レクセルさんは、誰かと話していて忙しそうです。
床を足で蹴ってみたり、咳払いをしてみました。
それでも、レクセルさんは全くテスに気がつきません。


もう、待ちきれません。

テスは、カウンターの上に貯金箱のお金を勢いよくばらまきました。



やっとレクセルさんがテスに気づきました。

「やぁ どうしたんだい?
今、シカゴから来られた大事なお客様と話をしているところなんだ。
後にしてもらえるかい?」


待つことなんてできません。
テスは、せきを切ったように話し始めました。


「弟が大変なの。
弟は奇跡がないと死んじゃうの。
だから、奇跡を売ってください!」


「なんだって?」


「弟の名前はアンドリュー。
頭の中で変なものが大きくなってるんだって。

パパは奇跡だけが弟の命を救えるって言ってたわ。
だから、奇跡を買いにここまで走ってきたの。
その奇跡っていくらですか?」



レクセルさんは悲しい声で言いました。

「すまないけど、おじさんじゃ君を助けてあげられないよ。」

「待ってください!
わたし、奇跡を買うお金を持ってきたわ!
ほら!これを見て!
お金が足りないなら、また、持ってくるから、値段を教えてください!」



その時、シカゴから来たお客さんが、
ゆっくりとテスの方へ近づいてきました。
彼は身をかがめてテスにたずねました。


「きみの弟には、どんな奇跡が必要なんだい?」


「わかりません。
ママが言ってたの。
弟は病気だから手術をしなければ死んじゃうって。
パパにはもうお金がないから、私のお金を使おうと思うの。」


「そう、それでいくら持ってきたの?」


「1ドル11セントです。
今はこのお金が全部です。
でも、足りないなら、もっと持ってきます。」



シカゴから来たお客さんは微笑みながら言いました。


「これは、本当に思いもよらない偶然だね。
弟さんの奇跡は、ちょうどぴったり1ドル11セントなんだよ。」

「君のお家へ行こうか。
弟とパパとママに会ってみたい。
僕の持ってる奇跡が、君の欲しい奇跡と同じものなのか見てみないとね。」



***


この「シカゴからのお客様」は、
世界的に有名な神経専門医のカルトン・アムストロング博士でした。

その手術は1ドル11セントで行われ、
アンドリューは今も元気に生きています。


( 出典:4000万人が泣いた 心に残る感動の物語 )

【感動する話】「新しい家族に愛されて」 【Facebookスパム】

これは巧妙だ。タイトルを変えている。元は【新しい愛家族】だったもよう。
https://www.facebook.com/hurunaki
ここで紹介されたようだ。
ということを、
https://www.facebook.com/shiawasenokatachi/posts/404127229700332
ここで書いている。

ソースを調べていると、全文コピペして、よろしければシェアしてくださいと言う坊主のサイトが出てきたりした。しかし本当の大元はどこなんだろう。

--

一昨年の12月に
母に頼まれて届けものをするために
旦那と出かけて行った

そうしたら、隣のアパートの一階のベランダに女の子がいた。

届け物をして、高齢の親戚宅の掃除などを
手伝ったりしていたので4時間ほど居たのだが、

帰りにふと見たら
まだ子供がベランダに居る。


ジャンプスーツ着てるとはいえ、真冬に何やってんだ?

と思って話しかけた。

「何してるの?」

「おりゅすばん」

「おうちの中にいないの?」

おうちに入れないんだよー」

「!?」


ベランダ乗り越えて
窓動かそうとしたら
ガッチリ施錠してある・・・


そのまま、ベランダから外に出して

大家が私の親戚だったので、

親戚の家に行き、事情を説明。

親戚
「またか!」


児童相談所と警察に通報して、
とりあえず子どもを風呂に入れた

警察が来て、
両親の携帯に連絡しているのに帰ってこない。

通報されるのは5回目。

調べてみたら女の子は予防接種どころか母子手帳もなく、野良出産。

よく、今まで何もなかったなぁ・・・

一昨年の夏までは
祖母宅にいたそうなのだが、
亡くなって親元に戻ってきていた。

その子の親戚はクソッタレだ。

それどころか親戚みんながクソッタレだ。

そのクソッタレな親戚の話によると

旦那の本当の子供じゃなく

奥さんが風俗で働いて居た時に出来た子。



極めつけには、
眠ってるままの女の子を
大家の庭の犬小屋前に置き去りにして夜逃げしやがった

そんなことがあったらしい。

いろいろ巡り巡って
その女の子が家にいる。

長女として。

今月から年町からになるけど
幼稚園に通いだした。

施設にしばらく入ってたのだけど、
一連の話を見聞きしてた主人が

「迎えに行かない?」

と一言

主人自身が、親の離婚で親戚の間を
たらいまわしにされていた経験もあって、
ずっと気になってたそう。

小3の長男もいるのだけど
話をしたら

「妹になってくれるかなぁ?」

って

なんで君たちそんなイイ人過ぎるのよ。

私の父に、旦那が

「俺らの子になって貰おうと思う」

って言った時
父が凄く泣いた。

父も母も賛成してくれた。

母は孫娘にあこがれていたので喜んでた。

私も前置胎盤のせいで子宮を提出しているから
2人目欲しくても無理だったし、

迷いはあったけど家に迎えた。

すごい素直ないい子だよ。
かわいいよ!!

なんでこんな子を置き去りにしていったの!?

ようやく正月ぐらいから
ママって呼んでくれるようになったよ。


絶対幸せにする!


息子が書き取り教えたり、
遊びに行くときも連れて行ったりする

息子の友人たちにも
男女問わず遊んで貰ってる


息子が宿題をしているとき

「おにいちゃーん!」

突撃してっても
絶対に邪険にしない

息子、男前すぎだと思った。

主人は娘にかなり甘いので
パパっこになりそうな予感

私の両親も
着せ替えするかのように洋服を買ったり、
遊びに行ったり。

この前行ったディズニー

超楽しかった・・・。

娘が帰りたくない~!
って泣いていた

すげぇイイ人と結婚したな私!

みんな大好き!

愛しているよ!

これからもっと大変になるだろうけどがんばるぞ!

【泣ける話】最後の喧嘩

不思議なのは、はじめの3行(1年間~出来事だった。)がなく、「その日は」から始まっていること。結局検索すれば引っかかるので、何のために削ったのかわからない。死んだことを始めに出さない方が泣ける度が増すという編集判断なのだろうか。

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http://nakeru.e-wadai.net/love/1147/

http://kando-history.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27


1年間同棲していた彼が他界した。

大喧嘩をした日、交通事故に遭った。
本当に突然の出来事だった。
その日は付き合って3年目の記念すべき夜だった。

しかし、仕事が長引いてしまって約束の時間に帰宅する事ができず、せっかく彼が用意してくれた手製の料理が冷め、台無しになってしまった。
いつも通り軽く詫びを入れて事を済まそうとしたが、その日の彼はいつもとは違い、私に対してきつくあたった。
丁度その時私は気分も優れず、仕事のストレスもあってか、そんな彼と話していくうちに強烈な憤りを覚え、つい言ってしまった。

「もういい!こんな些細な事でそこまで怒る事ないでしょ!あなたは自分の都合でしか物事を考えられないの!?」

彼は黙った。
少しの間の後で、私も少し言い過ぎたと思い、黙って席を立ち、界隈を散歩して頭を冷やそうと思い、一旦家を出た。

いつも通う小さな喫茶店で、30分少々の時間を潰した。
あの人もただ単に怒りに任せて私に怒鳴り散らした訳じゃない。
それだけ、今日のこの日の事を大切に思っていたからこそではないか、と考えた。
そんな彼の気持ちを思うと明らかに私の振る舞いは最低だった。
身勝手な自身を忘れ、改めて彼に謝ろうと思い、家に向かって歩いた。


しかし、彼は家には居なかった。
料理も、携帯電話も、机に置いたままだった。
マメなあの人が携帯電話を忘れるのは珍しく、近くにいるのかと思い、私は家を出て近辺を歩き回った。
しかし見つからない。
公園や近くの空き地も見たが、彼の姿は無かった。

彼の実家や、携帯を調べ、彼の友人宅等にも電話を入れたが、来ていないと言う。
家に帰り、2時間が経過した。
私はその時考えていた。
帰ってきたら頬をつねってやろうと。
幾らなんでも心配させすぎだ、悪戯が過ぎる、と。
明日は休日だからこんな事をするんだろう、と。

それが彼との最後の夜だった。

事故現場は家周辺の一方通行の十字路だった。
横から飛び出してきた車と衝突、即死だったそうだ。
時刻はPM10:20、丁度私が家を出て10分経過した時間だった。

その際彼が持っていた遺品は、缶コーヒー1本、女性用のガウンジャケット、現金で120円だということを聞かされた。
私のガウンジャケット、まだ未開封の缶コーヒー、私の為のジュース代。
細やかな気配りの中に、彼の深い愛情と優しさが感じられた。

一緒に帰りたかった。
その言葉を心の中でつぶやいた。
同時に私の目から涙がとめどなく溢れた。

改めて、彼という存在の大きさに気付いた。
ただ、情けなくて、悔しかった。

2014年2月5日水曜日

イチロー選手の「目標設定術」

Facebookで個人情報抜き取り系の怪しげなTLが流れてくる。「続きを読む」を押すと、情報を抜かれる仕様だ。こういうのに引っかかる人たちに教えてやっても仕方がないので放置しているが、さすがにネタの選び方はいい。まあコピペを途中でぶった切っているだけだが。
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http://www.hata-web.com/wp/?p=3192&type=blog
http://blog.livedoor.jp/yumeworld/archives/1606684.html
「誰よりもやった練習です」

イチロー選手の目標設定術

奥村幸治

オリックスで打撃投手を務めていた頃、
不調に陥った選手に「投げましょうか?」
と声を掛けると、ほとんどの場合、
「頼む」と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたい
と思うのが人情というものだろう。

そんな中、私の申し出に一人だけ
首を振った選手がいた。

当時二十歳だったイチロー選手である。

試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は
「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」と言う。

「どんなに好きな野球でも、
毎日続けていると、もう疲れた、
きょうは嫌だなと思う時ってないですか?
そうなっては、自分の能力って絶対に発揮できないですよ。
バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。
そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。

「初めてお父さんとキャッチボールした時、
どんな気持ちになりましたか?
またやりたいなと思ったでしょ。
その気持ちなんですよ。
そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、
絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り三年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、
寮生活で一年間寝食をともにし、
多くのことを教わった。

彼と初めて出会ったのは、
私が二十歳、彼が十九歳の時だった。
初めてそのバッティングを見た時、
年下にこんなに凄い選手がいるのか
と舌を巻いたが、最も驚いたのは、
彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていた
イチロー選手は、夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。
そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、
室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、
一軍入りを果たした彼は、
全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。

不思議に思って尋ねてみたところ
「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」とのことだった。

一軍でまだ何の実績もない選手が、
自分のいまやるべきことは何かを
ちゃんと理解して行動している。
私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、
彼の取る行動や言葉のすべては、
他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。目標って高くし過ぎると
絶対にダメなんですよね。
必死に頑張っても、その目標に
届かなければどうなりますか?
諦めたり、挫折感を味わうでしょう。
それは、目標の設定ミスなんです。
頑張れば何とか手が届くところに
目標を設定すればずっと諦めないでいられる。
そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」

二軍時代のイチロー選手は、
マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、
普通の選手に同じことをやれと言っても、
それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、
私はこの「目標設定の仕方」に
あるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、
その日にクリアしなければならない課題がある。
その手応えをしっかりと自分で掴むまで、
時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、
継続する力、つまりルーティンを
いかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手に
こんな質問をしたことがあった。
「いままでに、これだけはやったな、と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の三年間、
一日にたった十分ですが、
寝る前に必ず素振りをしました。
その十分の素振りを一年三百六十五日、三年間続けました。

これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を
務めているが、それと比して考えてみると、
彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると
何をやってもすぐできるようになる。
下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、
いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、
下手な子は粘り強くそれを続けいつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、
できるようになった後もなお練習を続けるため、
結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は
卓越したセンスを持ちながらも、
野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、
ひたすら継続を重ねる。私はこれこそが、
彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

2000年に結成した私の少年野球チームは
当時九名の部員だったが、
現在百名を越える数になり、
その中から多くの甲子園球児が生まれていった。

現在、プロで活躍している
田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から
学んだことを折に触れては話し、
野球に取り組む姿勢として
それを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、
それに向けての継続を怠らなければ、
必ず次の段階へと自分を
押し上げていくことができる。

そしてそれは、
人生を生き抜く力にも繋がっていることを、
野球を通して伝えていければと考えている。